「神」は、幾千年の人類の歴史の中で、「人々の心の中」に住み続けてきた。 もちろん、現在でも多くの「人々の心の中」に住み続けている。また、これか らもある程度の期間は住み続けて行くであろう。

  「神」とは、いかなる概念であろうか。その概念に相当する実体は、何であ ろうか。 旅のなかで、ボクの訪れた国のなかで、「神」の住まない国はなかった。し かし、ボクの心のなかには、今「神」の住める領域は、ほとんど残されていな い。現代においては、同じような心境の人も多いであろう。

  旅の中で、いろんな「神」に出会ったが、もっとも多くの人の言葉のなかで 発せられる「神」は、この宇宙の創造主であり、いつも「それを信じる人」を 見守っていてくれる、その人にとっては唯一絶対の「神」なのである。

  ボクは、多くの人が語る「神」とは、「宇宙全体のエネルギー」のことでは ないかと思う。もちろん物理学では、エネルギーは質量に変換できるので、宇 宙に存在する物質には、すべて、「神」が「宿っている」し、イエス・キリス トは、その一部であるから、「神の子」を名乗っても誤りではない。また、現 実の現象は、すべて何らかの「エネルギー」が関与しているので、すべての「 現象」は「神の意志」といえる。  

    「神に祈る」ことは、人間の力を越えた絶対的権力(自然法則)に、運命を 任せることであり、人間の力でどうしようもないことに関しては、やむを得な いとともに、「神を信じる」ことで、絶望や落胆は、希望や活力に転化するこ ともできる場合があり、実存的合理性もある。

   また、封建社会においても国王 とて臣民とて、「神」のもとでは、一人の人間として平等であるという、民主 的精神や長年の歴史に培われた道徳的権威も宗教の果たしてきた歴史的役割と して、重要だと思う。  

   「神」の弊害も多々あった。「神」の権力を、自己の利益のために利用する 政治家や商人、宗教家は、どの時代でもあとをたたず、「神」や「神のことば」 の絶対性ゆえに、科学者との対立も、学問の自由と発展を妨げてきた。「神」の名の下に幾多の戦争や処刑が行われてきた。

   「神」が「人間を越えた存在」なのではなく、「神」は「人間が創りだした概念」 にすぎないのだから、「盲信」は禁物である。「神の言葉」とていかに優れた表現で あろうと「人間の言葉」である。