数学






 数学とは何か。
  数学とは、「人工言語」であり、「論理言語」である。
 「人工言語」と言えば、「言語」はそもそも「人工的」なものである
が、人間が、「無意識に」、あるいは、「自然発生的に」使うように
なった、民族固有の言語である「自然言語」と区別して、歴史的に比
較的近代になってから、ある特別な目的のために、「恣意的」に創ら
れた言語体系を「人工言語」という。
  そして、人工言語のうち、事物の「抽象的性質」や「抽象的概念」
のみを「表現」し、その「抽象的性質」と「抽象的性質」あるいは、
「抽象的概念」の関係を探求するために考案され発展していったのが
「論理言語」「数学」である。
 数学は、「言語」であるので、他の言語同様「真実の一部」を「表
現」することはできるが、「数学での表現」が「真実の一部」である
とはかぎらない。真実かどうかは、当然、現実との整合性であるので、
「数学」で「表現」された「科学的理論」も「実験」や「観測」で確
かめられて始めて、科学的「事実」として認められるのである。
 では、なぜ「数学的計算」で、「未知の現象」を予言できるのであ
ろうか。それは、「この宇宙(ひとつながりの現実の全過程)」が、
「法則性」を持って変化しつつあるからであり、「数学」は、その
「法則性」を「表現」するために科学者たちが発展させてきた「表現
手段」であるからだ。
 言い換えれば、「この宇宙」は、生物世界が誕生するまでは、人間
が、その「法則性」の幾つかを「理解」し「表現」できる「程」には
「単純」であったとも言える。
 そして、生物もまた、物理進化・化学進化・生物進化とその法則性
の土台の上に、種の生存に有利に働く認識・思考システムを進化させ
てきたので、それを理解できるのも、「必然」の過程だったのである。
(人間原理)
 アインシュタインは「驚くべき事は、人間がこの宇宙を理解できる
ことだ」といって、生物進化の結果の人間の情報収集・分析能力に驚
嘆していたが、進化の過程(特に心の進化)をつぶさに検証していけ
る現代においては、それも、さして驚くに値しない。「神はサイコロ
遊びをしない。」といい、最後まで「決定論」に確信を持ち続けたア
インシュタインの「指摘」は、現代でも多くの科学者の心の中に生き
き続けているのである。
 「数学」は「人工言語」であり「論理言語」であるが、それ自体、
「自己完結性」を持った、「完全な論理体系」とは言えない。「表現手段」
である「言語」の宿命であり、「完全な表現」など存在しない。
「完全」とは「一つながりの現実の全課程(宇宙)そのもの」であり、
宗教的表現では「神(宇宙全体のエネルギー)の創り給うた世界」で
ある。ゲーテルの、晩年の悪評高き「神の証明」とは、「数学に対す
る哲学的理解」のことに他ならない。
 また、「数学」とは、ハードウエアーである人間の脳の「言語思考
原理」を「表現」しており、ソフトウエアーの探求は、ハードウエア
ーである人間の脳の思考原理解明の重要な手がかりとなっているので
ある。(要素分解とその要素同志の関係の分析を通じて、対応する脳
細胞とその結びつきの関係を調べていく科学的方法論。