進化

  哲学の目的の一つである「人生観」と「心」の働き関係を検証するため、科学の成果で、ビッグバンから、「心」が発生するまでの、物質・エネルギー系の「進化」の歴史をたどってみたい。
 

   ビッグバン以来、物質は、エネルギーと密接な関係を保ちながら進化してきた。(ちなみに、広義の「進化」は、連続的かつ蓄積的な時間軸上の不可逆変化の意味である。)
 

   ビッグバンの高エネルギー状態で誕生した量子と量子場は、「ゆらぎ」や「パリティーの破れ」などが原因となり、それらは宇宙に均等に存在せず、原子や分子に進化し、固まり(星や島宇宙)が発生した。

 初期の頃の宇宙は、水素が大部分であったという。星の中心部の高エネルギー状態で、核融合がおき、物質がさらに進化して、原子量の大きな原子を生み出していった。超新星爆発など
でそれらの原子は宇宙空間にまき散らされ、その不均一な存在形態や移動速度の違いにより、再度、個性ある星や惑星の原料となる。現在の全宇宙の物質構成は、水素70%ヘリウム25%その他の元素3%ぐらいとのことであり、地球が現段階の宇宙の中で生物進化のいかに特殊な環境を提供したかが想像できる。 (もちろん、宇宙には地球型惑星が無数に存在すると考えられるが、宇宙全体からすれば、それらはかなり特殊な環境である。)


  星や原子は「ホロン」とよばれ、「後発的な、外部と異なる内部構造をを持つ量子および量子場の集合体」で、部分と全体の両方の特徴を併せ持つ。「量子」から「宇宙」に至る「ミクロ」から「マクロ」まで、入れ子状の階層構造を形成し、外部との量子のやりとりと内部構造の変化を行うが、「部分的定常性」という特性がある。

 物質進化の過程で発生したホロンの一種の「惑星」のうち、条件の適した場所で、「分子」の「化学進化」がおこり、高分子化合物が誕生した。この過程は、高温の海のなかで、マグマの熱エネルギーや太陽光やプラズマ(雷)の電磁エネルギー、他の小天体の衝突など(あるいは、そのいずれかが)が関係して推進されたと考えられている。

  その特殊な環境下で高分子化合物はさらに「化学進化」し、高分子化合物の組織体「生命体」を発生させた。 「生命体」は、高分子化合物の1つ上の階層のホロンで、分子以下のホロンや量子および量子場を要素として、時空(ミンコフスキー空間)にある一定の広がりをもって存在し(空間的に外部とは膜で仕切られている)、「自己保存」「自己複製」「エネルギー代謝」などの特性を持つ。

  「生命体」は、「自己保存」「自己複製」の「目的」で「エネルギー代謝」を行い、「生存」しているかのようにみえる。しかし、進化論は、進化の「目的」に見えるものは、適者適存、自然淘汰の「結果」であって、目的に会わないものは消滅(1つ下位下のホロンに要素分解)した結果あたかも「進化」が「合目的的変化」に見えるという、目的のない「物理・化学進化」と「生物進化」の接点を説明した。すなわち、「自己保存」「自己複製」「エネルギー代謝」は、生命体の「目的」ではなく「結果」であるというという訳だ。

  そして、その中心的役割をはたしたのが、DNA(初期の頃はRNA)で、その不可逆的に蓄積された情報のなかには、生命38億年の歴史のみならず、宇宙137億年の歴史が記録されているのである。

  このように、「生命進化」単独ではなく、「物質進化」「化学進化」「生命進化」の過程をつなげてたどってみると、「生命誕生」が「奇跡」でなく、あらゆる条件が整った「特殊」ではあるが、「結果」であることが明らかになる。

    138億年を1ページで書いてしまったが、太陽系の生物で、この全課程の概要を認識できるようになったのは、20世紀でここ300年ぐらいの科学者の研究の成果だ。もちろん、科学者の利用した器具、言語などは、その前の人類の努力によりできているのであるが、その成果は、哲学や社会学に画期的資料をもたらし、21世紀には、人類の悲願であった、科学的な道徳観、すなわち、個人の価値観の階層構造を、物質の階層構造を根拠に説明することが可能になったのである。

  これまでの科学は、事実がどうであるかを探求するのに、その主眼があったが、これからの科学は、社会や国家そして、地球が「どうあるべきか」を、それらの事実を根拠として説明することが求められている。そのためには、人間科学や社会科学、自然科学、そして宗教を、総合的に説明できる哲学が不可欠である。

  多様な価値観は、人間の文化に多様性を与え、それは、生物多様性同様、人間が、地球上のあらゆる環境で生きていく上で、貴重な情報をもたらしてきた。しかしその結果、個人の価値観や国家の価値観、宗教のちがいによる多くの悲劇も生み出されてきた。

 各人が、個人の幸福を追求する過程が、他人の幸福の追求の妨げにならず、悲劇を生まない。そして、その各人の幸福追求のための生産活動が、持続継続可能な社会(国家)の生産活動となり、それが、他の社会(国家)の生産活動の妨げにならない。そして、それが地球の環境を人類全体が持続継続可能な環境を保全することにつながる科学的根拠を持つ倫理観。

 その科学的倫理を確立し、説明することが、「椋木哲学」(このホームページ)の目的である。


 

写真10
写真10
写真10