仏
 
 

 「仏」ゴータマ・シッダールタは、歴史上の人物としては、
優れた「哲学者」であり、「科学の目」で、「人の心」を分
析した「心理学者」であった。(実験の対象は、自分の体と心。観察の対象は、社会や自然。)また、その探求の成果を人々に伝えた「教育者」でもあった。当時の出家僧は、托鉢やお布施がその研究生活を支えていたので、あえて「宗教家」と呼ばないとすれば、職業は、「研究と教育」の対価として、「寄付(税金)」を受け取る大学教授のような存在であったのではないだろうか。


   現在の「経典」にしるされているのは、ゴータマがすべて考え出したものではなく、他の宗教と同様に、当時の
「宗教」や「学問」の到達点にたって、ゴータマの 修業や
観察、思索によって「確信」された、「境地」を、弟子たち
にに伝えた。ゴータマは、王家の出であり、出家するまでは、他の庶民が受けられないような当時の「高等教育」を学んでいたと考えられる。


 ゴータマの「教え」が、弟子たちよって語り継がれ、後
世に「お経」としてまとめられ、さらに体系的宗教として広
まっていった。初期の「小乗仏教」では、ゴータマの「教え」を忠実に学び、「修行」によって体得し、ゴータマの達した「心境」に達した、あるいは近づいた人々によって、そのノウハウの体系として、広められていった。

 さらに、中国、日本と伝えられた大乗仏教においては、「修行」が必要なのは「僧」のみで、教師である「僧」の「導き」で、その教義である「お経」を唱和し、「神格化」された「仏」を拝むことで、だれでもその「徳」を得ることができる大衆的宗教として、体系化され、広められていった。


 仏教は、「神なき宗教」といわれるが、大乗仏教におい
ては「仏」を拝み、「お経」を唱えることで、「神=人間社
会の権力を越えた自然の権力」に「運命をゆだねる」の
であり、信者にとっては、やはり「神ある宗教」なのであ
る。


 ちなみに、「悟り」として知られる「涅槃(ニルバーナ)の
心境」は、「自然の権力と自我 (意識)および自己(心の総体)との一体感の持続」で、仏教以外の他の宗教でも「聖者の条件」として重視されている。どんな現象に対してでも、自然の権力と自己と自我を恒常的に一体化して、絶えず「客観」と「主観」を一致させ、行動することができる人、すなわち「聖者」が存在するとすれば、まさに「神」の声を聞ける「予言者」であり、その表現は、その時代の文化や「聖者」およびその弟子たちの知識や表現力に制限されているが、「神」ことばとして表現され、書物に残されれば「聖典」となる。


  「聖典」は「宗教のDNA」で、適した環境で「複写」され
「繁殖」し、時に「淘汰」されつつ時に「進化」して、環境
適応力(いろんな心の状態に適切に対応でき、時代の
変化にも対応できる真実性)の高い宗教が現在の世界
宗教を形成するに至った。 (民族の侵略の歴史と共に、他の文化といっしょに他の民族に押しつけられていった場合もある。しかし、信仰心は信者の心の問題なので、基本的にその民族の構成員が、信じない限り、その民族の宗教とはなりえない。)