哲学

体系的哲学は、一般に世界観および人生観、そしてその相互の関係から構成
されいている。
 歴史的哲学論争の根元には、生物(人間)の認識システムの解釈に起因する
ものが多く見られる。
 従って哲学の分類は、認識(思考)主体である人間(我)とその認識主体を形
成する原因となった客観世界(宇宙)の因果関係を一元的に正しく把握する唯
物論と、その関係把握を誤ったまま哲学的考察を重ねた結果、部分的真実を
多く含有しているが、全体的真実への接近が行き詰まり、つじつま合わせのた
めに、非常に難解で、ときにあいまいで、その解釈をめぐって人々の思考を混
乱に陥れてきた各種の観念論に分けられる。
 このエッセイは、基本的に先進の唯物論(物質が根元であるとは、名称は先
進的ではないが)の立場で書いていきたいと思っているが、世界観とともに哲
学のもうひとつの探求目的である人生観の研究においては、観念論の研究や
宗教の教書に優れたものが多いので、部分的真実として重視していこうと思っ
ています。(自然科学進歩に比して、社会科学や人間科学の進歩が遅れてい
いるため。)
現代の哲学(唯物論哲学)は、物理学を基礎に、化学、生物学、人間科学など
自然科学の成果と、心理学、宗教学、経済学、言語学、社会学など人文科学
の成果を総合して、矛盾なく表現される「世界観、人生観およびその関係」で、
「物質が根元」ではなく、「物質とエネルギー、時間と空間」を含む「宇宙の全存
在(絶えず変化する一つながりの現実の全過程)」をその根元とし、人間の意
識は、「絶えず変化する一つながりの現実」の変化の課程で発生した後発的
「部分」であり、「主観」は、その生物の「心」の進化過程のなかで、分化した認
識システムとみる。だから、唯物論においては、「物理学の成果」を基礎として、
科学の諸成果を総合して、「人生観」を導き出すことができるのである。「観念
論」「二元論」とは、出発点において、大きな隔たりある。
 ちなみに「物質・エネルギー系」と「時空系」の概念は、「図」と「地」の関係に
なっており、原初的にどちらが「根元」であるとは、断定できない。歴史的に観
ると、物理学は、物質やエネルギーを研究の中心的対象としてきたが、近年で
は、「相対性理論における「時空系」、「量子論」における「量子場」、ミクロとマ
クロの間にある階層構造(ホロン)など、現代物理学では、厳密で科学的な考
察では、「図」と「地」をワンセットで考察してきた。現代の唯物論が、物質・エネ
ルギー系を「本質」とし「図」であるとするのは、「人間および人間の意識が物質・
エネルギー系」で組織された「ホロン」であるからであり、その「人間」が認識す
る「客観<的>宇宙」は、やはり「可能な限り」客観に近い「主観」である。「人間
の認識行為」はあくまで宇宙の一部に起こっている現象にすぎない。
 「弱い人間原理」は、宇宙の諸定数は、あらかじめ人間が「発生」するような値に
定まっていたと主張しているが、まさにそのことが、「主観」の「客観性」を示して
いるのではなかろうか。我々は、結果から原因を見て不思議がっているのである。
 唯物論哲学は、「根元」の探求において自然科学の成果を例証しながら発展
してきた。旧来の唯物論が、「要素還元主義」「物質中心主義」「人間機械論」な
どと批判されてきた原因はここにある。現代の「唯物弁証法」の哲学では、「要
素に還元」して考察する場合もあるが「絶えず全体の中の要素の位置づけ」を
重視し、「物質中心」に考察をすすめる場合もあるが、「同時にエネルギーとの
関係・空間的広がりや動き、時間的変化」なども重視し、「個々の人間や社会を
客観的に把握」しようと追求する場合でも、「主観的把握」との違いについての
追求や、「主観」の合理性と進化過程を同時に探求しているのである。
 物理学の成果はあくまで基礎的なもので、「主観と客観」、「偶然と必然」、「個
人と社会」、「世界観と人生観」、「科学と宗教」のような哲学の諸課題を考察す
るには、「物理学」「化学」「生物学」「大脳生理学」のような自然科学の成果とと
もに、「経済学」「言語学」「美学」「宗教学」「心理学」「教育学」「社会学」などの
人文科学の成果とも無矛盾である必要がある。
 
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